ウインドキャラバン セアラ ブラジル - 赤道直下の砂丘で

まだ着かない。肝心の彫刻の入ったコンテナが、税関に留まったまま通関出来ないでいる。現地に到着してからも毎日のように、今日こそは大丈夫という連絡をもらいながら、どんどん日が経っていって不安は募るばかり。そんな状況から開放されて、ようやく設置作業に掛かれたのが、オープニングの前々日の朝というぎりぎりのタイミングだった。今回の会場は、ブラジルの北東セアラ州のフォルタレーザから30キロ、海と湖に挟まれたクンブーコの砂丘。ここでは砂は波のようにうねりながら移動し、目の前で地形を変えていく。休むことなく吹き続ける風は、常に風速6mから10mで、1度と方向をずらすことが無い。気温は年中27度前後で、日陰の無い広大な砂丘はまぶしく焼けるように暑い。

11月17日朝のオープニング。ワクチが奏でる不思議なリズムが、チューブを振り回す口笛に似た音楽に変わったのを合図に、手に手に色とりどりの風ぐるまを持った子供たちが、ゆっくりと「天使のように」(イリ・キリアンの言葉)砂の急斜面を降りてきた。それは息を呑むような光景だった。前日のリハーサルの時とは打って変わった、つんとすました50人の地元小学生たちは、その瞬間天使になり切っていた。緑のセールの翻る作品群の間を通り抜けながら、風ぐるまを砂に差しては立ち去って行く子供たちを追うように、やがて音楽家たちも演奏しながらゆっくりと砂丘の向こうに消えて行く。真っ青な空にはモンゴルの子供たちが絵を描いた凧が連凧となって舞い上がる。魔法がかけられたようなオープニング・セレモニーは、こうして無事終わった。

イリ・キリアンと私は拍手に答えて、炎天下に集まって下さった観衆に挨拶をした。彼はネザーランド・ダンス・シアターを世界最高峰のカンパニーに育てた天才振付家。一方ワクチ(UAKTI)は、配管用のパイプやゴム風船などありきたりの物を使って、世界に2つとない独特の楽器と音楽を生み出す、私の大好きなブラジルの5人グループ。お互いに相手の事を良く知らなかった彼等に共演してもらうのは、私の長年の夢だった。その夢は、日本から見てちょうど地球の裏側、ブラジルの砂丘の真中で実現した。超多忙な人たちが、ウインドキャラバンの精神を理解して、喜んで参加して下さったことが、何よりうれしかった。

オープニングに先立って開かれたシンポジウムには美術評論家の中原佑介、彫刻家のフランス・クライスバーグが参加してくれた。現地でコーディネイトをしてくれたのは建築家クペルチーノ、飛行機で3時間半かかるサンパウロからは、国際交流基金の梅宮所長夫妻はじめ、多くの友人たちが参加した。パリからはエルメスの人たち、遠く日本からも多数の応援団が駆け付け、ウインドキャラバンのフィナーレは大いに盛り上がった。

クンブーコの人達の生活は、砂丘目当てにやって来る観光客相手のサービス業を除くと、殆どが素朴な漁業で、ジャンガーダと呼ばれるいかだに三角帆を張った簡単な舟で、毎朝魚採りに出掛ける。生活は質素だが、大人も子供も明るく親切で、笑顔が絶えない。

世界の6ヶ所の自然を巡ったウインドキャラバンは、一応このブラジルの砂丘で終了する。一年半の間に各地で行った人々との交流、6ヶ所の子供たちを結ぶ活動の中で、どれだけのメッセージを伝えることが出来ただろうか。私たちがその間どれだけ多くの事を学んだか、本当に計り知れない。各地で参加して下さった方たち、応援して下さった方たち全てに、心から感謝している。

2001年12月2日
新宮 晋