ウインドキャラバン イナリ フィンランド  真っ白な世界の暖かい思い出

先程、作品を詰め込んだコンテナは、鉄腕アトムのような起重機付きのトラックに乗せられて、ウインドキャラバンの次の開催地モロッコに向かって出発して行った。
3月1日正午、気温摂氏零下24度、私はフィンランドの北端、凍結したイナリ湖の上に立っている。ここは、4日前までウインドキャラバンの会場だった所だ。青いセールを張った21点の彫刻が、生き生きと風に翻っていたのが全て幻だったかのよ うに、何の痕跡も残さず、今は元の真っ白な世界に戻っている。

2月10日のオープニングは、それまでの厳しい冷え込みが嘘のように、零度に近い陽気で、2百人程の人たちが集まった。原色の民族衣装を着たサーミの人たち、元気いっぱいの子供たち、ヘルシンキやイタリア、日本から駆けつけてくれた友人やジャーナリストで、まるで華やかな祭のような賑わいだった。ビニールテープを巻き付け た、変形の色とりどりの風船を結び付けた、子供のスキーヤーと、トナカイの橇(ソリ)によるパレードで、式はスタートした。続いて、私の大好きな歌手ヴィンメが無伴奏で3曲歌い、私も短い挨拶をした。そして来場者全員に、暖かいトナカイのスープが振る舞われた。この季節、屋外のイベントは短いに限ると言われていたのに、人々は大いに語り、笑い合って、たっぷりと楽しんで帰って行った。

会場に一番近い村は、18キロ北西にある、人口7百人程のイナリで、フィンランドに住むサーミの主都になっている。そこには、シーダ(SIIDA)というサーミの文化を紹介する素敵な博物館があって、そこがこの企画を全面的に応援してくれ、展示やパーティー、講演等の会場を提供してくれた。サーミと呼ばれる人たちは、かつてロシア、ノルウェー、スウェーデン、フィンランドの国境をトナカイを追って自由に行き来していた遊牧民で、現在はそれぞれの地に定住している。

オープニングの翌日、私と、自然エネルギーの専門家牛山泉、サーミの工芸家イルマリ・ライティ、シャーマニズム研究の第一人者ユハ・ペンティカイネンの4人による「風」をテーマにしたシンポジウムが、シーダで行われた。全く立場の違う4人が語り合った「風 - 地球への贈りもの」は、立体的で興味深いものだった。

オープニングのパレードをしてくれたイナリ小学校の児童は、モロッコのベルベルの子供たちのために、風見とキャンドルを作ってくれた。準備と据付け、2週間の会期と撤去を含めると、滞在は一ヶ月を超える。その間に私たちは、村の多くの人たちとすっかり仲良しになった。あの厳しい自然環境の中で、何故あの人たちはあんなに明るく、冗談を言っては笑い合えるのか、本当に不思議だった。

滞在中、少なくとも4回は、見事なオーロラに遭遇した。音も無く星空を焦がす、冷たい緑の炎の無限の変化に、魂を吸い取られるようだった。幸いにも私たちは、会場上空に現われたオーロラを、写真とビデオに収めることに成功した。

零下40度近くにもなったフィンランドのウインドキャラバンが、暖かい思い出に満 ちているのは、間違いなくあのサーミの人たちと、友人たちのお陰に違いない。
2001年3月1日
新宮 晋